アムステルダムからフランドル地方そしてパリへ 
芸術と美食の旅 8日間

2002年 10月24日(木)〜10月31日(木)

成田を昼のJAL便で、10名(女性8名、男性2名)で旅立った。2階席で半分空席、ゆったりした雰囲気で12時間の空の旅の始まり。24日の夕方5時45分オランダ、アムステルダムのスキホール空港に到着、スキホールとは、船の地獄とも落とし穴とも言われている。昔はこの港では、多くの船の事故があったためらしい。今、建設中のところがあり、出来上がると世界でも最大級の空港になると言うだけあって、大きいが静かだった。ホテルはザ・パークホテル由緒ある?200年以上たっている、リニューアルはされているものの、エレベーターなどには驚かされた。エレベータ内にドアがない、寄り掛かることはできない。ぼけっとしていると降りれない。夜のアムステルダムの街へくり出した、機内での食事があったので軽く飲みに行こうか?まだ、開いている店にそれぞれがもう、気侭に寄ってお土産を買いに夢中、まだまだ着いたばかりなのに、と言う私もお土産を買っていた。レストランやバーは混んでいて、やっと見つけた店は素敵な店だったが、しっかりコース料理でなければならない、フランス語ができる副田さんに交渉してもらい軽いメニューで安くお願いした。10名が一緒の大きなテーブルで最初の晩餐が始まった、調子がいいよ?が帰りのトラム(路面電車)の1番と2番の停留所が見つからない、聞いてもよくわからない、この橋渡ったかしら?さすが運河の街、橋の数も数しれず、同じように見えるもう暗く、東京のようにネオンもまたたかない静かな街になっていた、みんな動じる事もなく、おしゃべりしながら歩くこと、20分ぐらいホテルがあった!一日目の夜が終わった。

 翌日朝食を済ませていると、ガイドの備さんが待っていた。明日のアントワープを今日中に見てしまったほうが、明日のブルージュでゆっくりできるとの提案があり、予定変更して出発。ライデンに向かう、オランダは神に見放された国、だから、人の手で創られた回りに山や岩はないので、水を汲み取りだし、運河と地面を創っていった。その運河の中から粘土を取り出し、レンガをつくり、建物を作っていったからレンガの街でもある。それに役立った風車を見に行く、バスを走らせていると昔ながらの風車がまだ、あちらこちらに残っている。私達は風車博物館へ、5階分ぐらいあるだろう所の階段がはしご状態おそるおそる登ると、そこは、絵に書いたような、穏やかできれいな田園が広がっていた。風があり、「きゃあーきゃあー」いいながらもシ
ャッターを押していた。風が少ない時などの、マスト張りも見せてくださったけど危なげだった。池のアヒルが大きいこと、人なつっこいこと、のんびりとしている。デルフトへ向かう、陶器工房では、手作りと機会作りの差を見たり、工房の中では、白衣を着て作っているのが、なんかマッチしない感じがした。昔貴重なチューリップを一本一本飾る器がおもしろかった。また、また、お土産買いに夢中。

 アントワープへ向かう。アントワープとは腕をなげるの意、スヘルデ川で暴威を振るっていた巨人の手を切り取って投げたという伝説から名付けた。その像が市庁舎の前に噴水になっていた。ノートルダム寺院へ、そこはフランダースの犬の名作で知られる少年が息をひきとる前に見たという、ルーベンスの「キリストの降架」と「キリストの昇架」などがある。そこを見てから、夕食のレストランに行くまでのそれぞれの自由時間、私達はベルギービールを飲みにバールへ、頼むとすぐに、スコールのような雨、テラスの席から、中に移動!あちらの人達は動じない。すぐと雨があがり、集合場所のレストランへ、そこには、ブリュッセルからのガイド担当の吉岡さんが同席、備さんから、ジャックブレルの足跡をという、私達の希望を聞いて、早く会いに来てくれた。話しが盛り上がり、お店のグランドピアノでブレルの曲を「行かないで」
「アムステルダム」「懐かしき恋人の歌」を歌った。

 翌日は、ブルージュ、中世の運河の都、屋根のない博物館と言われ水の都へ、愛の湖から歩きだす。紅葉もきれいで、落ち葉を踏み締めながらの散策。あちらこちらどこも、写真におさめたい所ばかり、土曜日で、外人の観光客が多かった、ベギン会修道院を通り、聖母教会に向かう途中、花嫁に遭遇、あれあれ副田さんがちゃっかり花嫁の隣で、写真に収まっていた。ミケランジェロの「聖母子像」など見て、また散策、あっ風!!遠藤さんの帽子が・・・運河に浮かぶ船のお客さんに拾ってもらって、皆なで、「メルシー、メルシー!」ランチは想像通り??バケツではなく、ホーローのお鍋いっぱいのムール貝、これが実に美味しい、美味しいと絶賛。また自由時間。船に乗る人、馬車に乗る人(今回はいなかった)お店がいっぱい、レースや御人形や、
チョコそして、ベルギーワッフルの食べ歩きもはずさない。バジリック聖血礼拝堂に入ってみる、聖血は金曜日しか見られないので残念。ここの説教壇は地球の形で、他の聖堂の説教壇とはかなり異なって近代的。

 マルクト広場で集合。今日の宿オステンドに向かう。オステンドは、北海のリゾート地「リゾートの女王」と言われているらしいが、今は想像できないくらい、静かでどこまでもどこまでも海、砂がきれいだっだ。駅のそばのレストランへ。そこで出た魚のスープが皆に受けた美味しい。日本人好みかもしれない、が、白ビール(名物)あまり好みでないかも・・駅の壁に音符が書かれている。備さんが何の曲かわかりますか?と私達になげかける。みんなで音符を読みはじめる、ラララフンフン??「平野の国」だった。ブレルのこの曲は国民に愛されているらし
い。ほろ酔い気分で気持ちいい風にふかれて口ずさんだ。

 翌日はすごい風、オーシャンビューの窓からは、砂が勢いよく流れているさまを、不思議な光景としてみていた。ホテルを出る時も、飛ばされないように少しずつバス
へ乗り込む。さあ、ゲントへ。そこは、無気味なくらい静かだった、日曜のせいかしら。「あら!雨?」といっているとたんに、土砂降りに、ちいさなお土産屋さんに雨宿り。そこは、私達11人が入ると身動きができないくらい。悪いので、時間をおきながら、これください「ゲント」の案内書を買うことにした。10分ぐらいいただろうか?雨が止んだ。日曜日で1時からしか入れないサン・バヴォン大聖堂に「神秘の子羊の礼拝」を見る。一番左端の絵は盗まれたので複製だそうだ、なんて事をするのだろうと悲しくなる。そんなおしゃべりをしながらバスに向かっていると突然の強い風、「ワワアー」と声を発する暇もなく、電信柱のようなポールに抱き着いていた、私が飛ばされそうになった、本当です・・・後で聞いたら瞬間風速140Mを記録し
たらしい、その後高速道路も大きな木がなぎ倒されて、運転手さんはハンドルを取られ怖かった。やっとブリュッセルに到着、ここも風が強かったらしい、木々が倒れていた。ホテルで3日間案内してくれた、備さんとお別れ、オランダの方と結婚していてアムステルダムに住んでいる。夜は私の知人でブリュッセルにもう30年も暮らしている、画家の松尾さん御夫婦の家に皆でおじゃまする事になっているので、3台のタクシーで、10分ほどの所へ向かったが、1台がなかなか着かない。2台目に乗ったのにと心配していると、かなりぐるぐる回ってから着いた。タクシードライバーは別に悪い人ではなかったらしい。ほっとして皆んなで乾杯。素敵なお宅で、東京から、博物館の方も見えていたので少し歓談してから、松尾さんが用意してくださった、レストランに。若い人たちで賑わっていた。松尾さんの友人やお店のオーナーのお知り
合いの方達も見えている。そうそう一度お別れを言ったはずの、ガイドの備さんも参加した、強風と洪水でアムステルダムまで帰れなくなったからだった。そして明日からのガイドの吉岡さんも、御自宅が近いということでつきあってくれた。賑やかな中、お料理が。フォアグラのパテとドーバー海峡特産の舌平目のムニエルがとても美味しかったので感激。でも、皆んなはゆっくり味わってばかりはいられない、ここで、ステージがあり白いグランドピアノそして、音響と映像の人が待機していて、歌うことになっていたからです。食事もデザートに入ったとき、ショーを始めました。松尾、水口、遠藤、午膓、紙谷さんとつづけて歌った。それぞれ熱唄。りっぱだった、その後に私も5・6曲歌って楽しみました。日本語で歌ったけど、伝わったと言ってくだ
さった。楽しんでいる内に11時をまわってしまったので、ホテルに送ってもらってお別れした。皆んなゆっくり休めたと思う??。

 今日は、ジャックブレルにゆかりのある場所を、吉岡さんが案内してくれる。まず、生家ヘ、ダイアモンド通りにある、間口は狭いがモダンな感じがした。ブレルの生家とプレートが貼ってある。今は公証人の事務所となっている。ブルッケール広場のカフェへ彼がよく通ったカフェ、私達も座ってみる。「ラマンチャの男」の初公演がおこなわれた、モネシアター、ライブをしたジャズクラブ「ガルリ・サン・チュベール」は書店になっていたが、面影を感じた。バルバラと運命的な出会いをしたという、アーケード街、内装が気に入っていたレストランなどをみながら、ブレルを偲んでいた。来年は没後25年にあたるので、イベントが予定されているらしい。そして、普通の観光コースであるグランプラスから「小便小僧」そして、その女の子番??あまり見たくないかも・・ここで、自由時間。チョコの有名店があるところへは、吉岡さんがバスをしたててつきあってくれた。私は2時40分に乗るタリス(列車)には食堂車がないので、美味しいと評判のパン屋で、キッシュを調達。それぞれ自由散策も堪能したらしい。いよいよベルギーからもお別れ。もっともっとゆっくりしたい、そんな街でした。タリスはアムステルダムから来るので、昨日の洪水などの影響で、遅れる事25分。アナウンスがあるわけでもなく、文句を言う人もいるわけでなく、ただ走り出すのを待っていた。が、吉岡さんもずーといてくださった。彼のホームページにも載せたいといってたくさん写真も撮ってくれていたので、楽しみです。タリスの中は満員、1時間半程で、パリ北駅に到着。麻薬捜査官のような人と警察犬が出動していて、捕らえられる瞬間を見てしまった。物騒な印象を残してしまう。そういえばア
ムステルダムの空港でも警察犬の出迎えがモノものしかった。いやな世の中。パリの街はちょうどラッシュ時?車も渋滞というより、ゆずらないで混み合っている感じ、やっとホテルに、そこはこじんまりした、都会のホテル。今晩は夕食が付いてないので、遠藤さん達は、オプションのムーランルージュへ(本当に元気)、一人はホテルでゆっくりするというので、7人で中華レストランへ、ここは、2年前のツアーでも2回利用した、お気に入りのレストラン。胃のほうもちょっとほっとした?帰りはメトロも使わず、ライトアップされた、マドレーヌ寺院など見ながらホテルへ。

 パリの2日目は自由散策、ベルサイユに行く人、ノートルダムやルーブルに行く人、ピアニストの山白さんは、楽譜やCDを捜しに行ったりしたらしい。私達4人は、サンジェルマン・デプレとバスティーユへメトロの乗り換えもスムーズに、ランチはカフェで、どこも混んでいて、活気があった。中世の格好の馬の行列に出くわした。何だろう??聞いてみることは出来なかった。市庁舎でやっていた「イブ・モンタンの回顧展」を見る。翌日までということもあってとても混んでいた。人気があった証拠。たくさんの写真やビデオなど、いろいろな表情が見ることができ良かった。それにしても良く歩いた。今晩はバトーパリジャン(セーヌのディナークルーズ)に乗るので、ホテルで着替えをして、乗り込む。最後の晩餐になる、前回もそうだったので、思い
出す。今回は船からのライトアップがなく、街が少し幻想的。ユーターンする時に回転木馬の曲などにあわせてグルグル回るので、目をまわした人もいた。この演出はいただけない、私も苦手!最後の夜も終え、メンバーもここち良い夜を過ごしていたようでうれしい。

 いよいよ帰る日が来てしまった。が、午前中の時間がある。モンマルトルへ行く人、シャンゼリゼに行く人、最後まで無駄をしない、ご立派!!夕方noJAL便で帰路へ、また、2階席で良かったが、今度は満席。隣のフランス人青年と談笑しながら?お土産を機内でまだ買ったり、ビデオ鑑賞やらで11時間半のフライトも苦にならず、帰ってきました。お疲れさまでした。

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